恋に落ちる時。

誰に言われたかは
今ひとつ覚えていないが
「あなたはいつも一目惚れが多いのね。」
と言われた事がある。



その言葉には
少しマイナスのニュアンスを含めて言われた。




つまり、
それを発言したものから言わせると
相手のあれもこれもまだわからないのに、
見た目で、
もしくは相手の感じをとらえただけで
「惚れやすいのね」
といった感じなのだろう。








人はどういう時に恋に落ちるのだろうか。




大人になればなるほど
頭の方が大きくなって
あれやこれやと理由を考え

そして、
恋がやっと「認識」に変わった時に初めて
「彼(彼女)の事が好きなんだ」
と思い込む。





でも側から見ているとどうだろうか。




本人は気づいていないが
「目」は完全に彼、
もしくは彼女の虜になっている。





目は全てを語る。
言葉より語る。





ゲーテも
「詩人の書」で書いてある。





……
さらに隠しがたいのは
愛だ。まだそっと抱かれているのに、
たやすく目から発露する。
……





そう、彼、彼女の目だ。






一人の男と
一人の女が初めて出会う



そして
本人の意思と関係なく
瞳孔が数ミリ大きく開く。

目は光と相手の姿をとりいれて
時が止まったように
目は相手の全てを見ようとする。




しかし本人は驚くほど気づいていない。

後から簡単に
「ちょっといい人に会ってね」
と軽く呟く。
あるいは「僕の好みだ」
という具合に。


でも目はもっと深い事を無意識に分析して感じ取っている。

本人は気づいていないが。

一目見て恋に落ちている。




それを後付けの感じで
「気がついたら好きになっていたんだ。」
とも言う。



私は一目惚れした事がないと強く語る人はよく
「相手の事をよく知ってから私は好きになるのよ。」
と言う。





もしかしたら
本当にその通りかもしれない。

でもやはり己の目は
いとも簡単に真実を語ってしまう。


本人は
恋に落ちたと「頭」が認識する前に
無意識の領域の中で
いとも簡単に恋に落ちている事に
全く気づいていない。




目は語る。



そう

「たやすく目から発露する」








おそろしいものだ。

目を見たら

恋に落ちているのか
落ちていないのかは

1秒も経たぬうちに
相手の目に映ってしまうのだから。






愛を込めて

愛子より

子供の声

こんにちは。



先日、ちょっとショッキングなニュースを耳にしました。





東京都は、

子供の声を「騒音」として規制する根拠となっている都環境悪法条例を改正し

「子供の声」を規制対象から除外したそうです。











ちょっとびっくりしました。





どうやら最近まで

公園で声を出す大きさが制限されている、とか

静かに遊ばすために

「忍者ごっこ」や

「かくれんぼ」を

させるところもあるようです。



















私が以前住んでいたところでは

周りにあまり子供がいなくて

なんだか静かすぎて

少し寂しい気がしてました。





京都に引っ越してきてからなのですが

朝、ふと子供の声で目が覚めました。





どうやら学校に行くのに

みんなで待ち合わせをしているらしく、



まだ全員集まっていないのか

「だるまさんが転んだ」

をしていたんですね。





その声がずごく可愛らしいんです。







やわらかい声で

「だぁるまさんが…」



それで、子供何人かが歩く音





笑い声











その「音」に

まだ寝起きの私は

自分が小学生の頃に

近所のお兄ちゃんお姉ちゃんが遊んでくれていたのを

思い出しました。



心地よい朝でした。













子供は限界を知らないから

やっぱり人によってはうるさく感じることもあるかもしれません。

同じ人でも

時と場合によってとらえ方が違うとも思います。





私でも、もちろん

何か神経質になっているときは

もしかしたらうるさいな、

と思うかもしれない。











でも、ただそれだけの事。













昔は子供が何か行き過ぎたときは

叱ってくれる人が必ずいました。





叱られて初めて

「あ、これはいけないんだ。」

と子供は学ぶ。







その学ぶ環境を奪っているのは

大人になった私たちなんだって。



エゴもいいところです。









「転ばぬ先の杖」

ばかりして

子供は本当の意味で成長するでしょうか。















話は少し逸れますが…





子供に叱ってばかりのお母さんの声もよく耳にします。

きっと色々と日々のお疲れやストレスもあるんだろうな。

と思います。









でも

たとえば







子供が転んで

「わーん。」

と泣いたりする。





お母さんは駆け寄って

「どうしたの?」



子供は

「痛いの。」



それに

「そうだね、痛いね。」



こだましてあげる。





これをする人がすごく減っているのではないでしょうか。

ただ私がその風景をあまりみれていないだけかもしれませんが。





「そんなの、ちょっと我慢すれば大丈夫だから。」

は、

子供の「痛い。」

という言葉も感情も受け入れぬまま否定してしまっている。



子供は

「受け入れられていない」

と思う。



我慢する。





大人は規制する。









良い…事でしょうか。











大人同士でも

「こだま」できるようになると

または「こだま」されると

なぜだか心がふっと楽になる。







「悲しいの。」

「そう、悲しいの。」









「嬉しい。」

「そう、嬉しいの。」









だからあの金子みすゞさんの

あの有名な詩が

ずっとこの世に残り続けている。













自分の事も100パーセントわからない訳ですから

他の人のことは尚更分からない。





でも感情にそっと寄り添ってあげれることなら

こだましてあげることなら

ちょっとでも

できるかもしれません。





最近はそう感じます。











言葉は不思議ですね。

薬にも凶器にもなります。















子供の声は

この世の宝です。





そして何があっても守ろうとする母親の

あのあたたかい眼差しは





何よりも愛があって

何よりも強さを感じる。









先も言いましたが

私には今、子供はいません。



だからもしかしたら

「綺麗なところだけしかみてないのよ。」

と言われるかもしれません。







でもやっぱり



楽しそうに笑っている子供を見ると

どの子でも愛おしく想えるのです。























愛を込めて









愛子より







勝負の時

こんばんは。



今日の夜はジムへ。

トレーナーの先生について頂いてから約3か月ちょっと過ぎました。



最初は体重やら諸々を検査した結果

「30分立っているだけで疲れる数値です。」と言われ

自分の非力さに爆笑してましたが(笑)



まだまだですけど明らかに筋肉がついてきて

それが日常にもチェロにも活かされてきて

楽しくてしかたないです。



おもりがちょっとずづ増えてきているのも目に見える成果で嬉しいです。

ただもうちょっと回数を増やして通わなくては〜><

と思った一日でした。







さて、実は昨日

日帰りで関東まで行ってきました。



というのも

私にとって大切な方に会いに行くためでした。



沢山貴重な話がきけました。

その話を聞いてると

自分の甘さと無知さに気づかされ

もう恥ずかしすぎて

穴があったら入りたい気分で仕方なかったです。



でもだからこそ余計火がつくわけで。

勝負の時、いえ、覚悟を決めたといった方が正しいのかな…。





チェロに関しても

物事の考え方に関しても

とにかくあとは「自分次第」ということなんです。





私は今きっと「転換期」に来たんだろうと思いました。







すいません。

なんだか訳のわからない記事になってきました(笑)





とにかく仕事でもなんでも

輝いている人は

誰よりも何百倍も勉強して

何百倍も体を動かしているんですね。




それで私は普通の人より「鈍」なんです。

だから今から頑張ろうと思ったら

その人の何千倍も勉強して

何千倍も体を動かさなきゃいけないんです。






自分もそのステージに這い上がれるように

いや、あがらないと。



もう怖くないんです。

苦でもない。

そういう感覚が、

消えたんです。

覚悟を決めたから、でしょうか。

(「女の覚悟」というフレーズはなんとなく夏目漱石の「行人」を思い出しますが笑)





と、そんな気分にさせてくださった大切な方との

大事な大事な時間でした。







あとは自分次第。

自分次第なんです。





鏡に映っている

なんの偽りない自分に

語りかけたいです。



勝負しようと。













愛を込めて



愛子より